昭和三十年代、当山開山上人と蓮華寺第46世常不軽院日忍上人が新興宗教との
対決で手を取り合った時からのご縁
大宝三年(703)役の小角、富士山の小室に大日如来と四金剛童子を安置し、
大日往生寺と称した。そして大原村(現蓮華寺)に修験の行場を構えた。
それから大同四年(809)弘法大師空海が富士山に登り、大日往生寺の大日如来と四金剛童子を大原村に移して一宇を建立大同山御堂寺と称した。
弘安五年(1282)9月12日宗祖身延山を出立し池上の途上、川口村(現河口湖)
上の坊の主人梅谷采女(浅間大社)の神官だったが、宗祖の教えに触れ法華経に
改宗し、兄弟の僧法玄律師(真言宗御堂寺住職)の教化も願い出た。
宗祖これに答え翌日問答教化、法玄律師も法華経に帰依し、名を「蓮華寺」と改めた。
約1300年の歴史を有する日本でも有数の寺院である。
特に県指定の鰐口や身延山歴代法主染筆の曼荼羅が十代目から現在(九十世)まで
すべて格護。それ程揃っているのは日蓮宗の中でもこのお寺だけではなかろうか。
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