山梨八代郡二子塚 定林寺
2004/04/14up

定林寺第三十六世日光上人が当山の日蓮聖人を開眼して頂いたのがご縁

文永年間 源平合戦の時平家敗れた為 白菊御前(平重盛の従妹)はこの里に辿り着いたが懐妊の為に一歩も進めず、ある塚の片隅で産気づき一児を死産し、もう一児は胎内に残したまま力尽きた・・・。村人達は落人の姫の為そのまま塚に埋めてしまい、誰一人供養する事無く長い年月が過ぎた。いつしか塚より鬼火が炎々と燃え上がり、その鬼火を見た婦女子はみな病の床につき、様々な災いが起こるようになった。加持祈祷あらゆる手段を尽くしてみたがその効果なく、ただ恐ろしさに震えおののくばかりであった。

日蓮聖人がお弟子(日向・日興)を従えこの地をご巡下なされ、野中の地蔵堂(現定林寺)にお泊りになった時、その鬼火をご覧になり平家の亡霊と村人達を不憫に思って塚の上に安産の護符を供え、寿量品三十遍を読まれた。するとその夜、枕元に一人の気高き婦人が二子を抱いて現れ、「法華経と護符の功徳によって安産成仏せし事、この御礼に未来永劫女人の守護神とならん」と誓われた。聖人大いに喜ばれ「二子鬼子母神」の尊号を授けられ、村人達に給仕を命じられた。その墳墓は今も二子塚として残り、日蓮聖人開眼「子育て延命地蔵」と「二子鬼子母神」は今も現存し、年に一回お会式の時に開帳している

その他霊宝多数有り

JR石和温泉駅 車で約20分