妙心寺 由来
昭和三十三年七面堂お会式

江戸時代より七面山信仰が盛んな地域だった八王子。
廃仏毀釈を乗り越え、脈々と受け継がれてきた七面信仰は
元八王子の七面堂(現存)の信者が大正初期、台町(現富士森公園辺り)
に大乗結社(大乗会)と云う講中を発足させ信者多数存在していた。

本立寺檀家だった当山第二祖酒井妙真法尼がその講中の熱心な信者でありましたが、
昭和初期 本立寺及川真学上人(当山開山)の弟子となって、
自宅を改築して七面大明神を奉り、新たに昭和四十三年七面堂を建立し今に至っております。

現在の京王八王子駅周辺は水資源が豊富で池があったのですが、
その片隅に「七面大天女」と石碑を建てて七面山の池に例えて竜神を
勧請していたそうです。その池は京王八王子駅を地下式にする時に
埋め立てられ、石碑は七面堂に移設したと伝えられています。
またこの石碑は本立寺檀徒で身延山や七面山の本願人でもあり、
八王子第三小学校の校舎を寄付された「 折田作兵衛 明治12年12月建立 」
と銘打たれております。この石碑と土台の石は、七面山の麓の富士川の河原の石を
数名の壇信徒と共にリヤカーで運んできたと伝えられております。

七面堂のお祖師様は戦前浅草界隈の仏師が腕を競い合うために自分の店の
「ディスプレイ」として東京本所の仏師 安野傭の手によって作られた物で、
安野家の隣で布教所を開設されていた山梨県 二子塚三十六世 川久保日光上人
によって開眼されたそうです(昭和12年5月15日開眼)
第二次大戦が始まると、そのお祖師様は伊豆に疎開され、
30年間骨董屋の蔵の中に放置されておりました。
当時檀家だった「山本旅館女将」と、先代酒井法尼が伊豆へ旅行の折に
その旅先の旅館で話を聞き、その骨董屋で見つけられ購入し、
昭和40年に伊豆から遷座されてきたそうです。
また、当時の面影としてお祖師様の後ろに掛かる曼荼羅は、
戦勝祈願や敵国調伏の戦争時代によく書かれた「衛護曼荼羅」
で、祖師像にあわせて書かれた物です。

平成15年現住職が着任してから七面堂の布教活動に力をいれ、
平成24年11月2日、日蓮宗に認められ
七面堂を改め「 妙心寺 」と寺号公称を認可され、以降
「 七面山 妙心寺 」と名称を変更し400名の檀信徒ともに
お題目をお唱えしております。